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宇02 「姥井戸山」 由利本荘市上笹子字弥平沢国有林


地形図とルート
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ビュー: 姥井戸山・山頂(撮影: deco yama3

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羽後町上仙道桧山集落南端(上桧山併用林道起点)から望む本峰
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車両での進入は上桧山の財産区入口まで。ここから作業道を歩いて進んだ
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作業道の状況。かなり路面は洗掘され草も生えていた
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杉造林地内から桧山集落を望む
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造林地内から月山の山頂部だけが見えた
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残念ながら作業道は途中から草藪に覆われていた
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先はまだ遠く諦めようかと思ったが、ここは造林地内を進んだ
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まだまだ遠い姥井戸山を望む
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出羽丘陵と桧山集落を望む
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初秋の草藪は”のさばりっこ”(雑草の種)が衣服に纏わりつく季節でもある
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全身が雑草の種だらけ。草藪も濃く作業道は廃道状態であった
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北西側に三等三角点峰の皿ヶ台を望む。新田次郎の小説「点の記」の主人公である柴崎芳太郎氏が設置している
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造林地内の草藪をかきわけて稜線を目指す
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高度が上がると草藪も背が低くなり登りやすくなった
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稜線に到達。これ以降は国有林との境界を登ることになる
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稜線から再び桧山集落方面の景色
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残雪期に確認していた夏道を辿る
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しばらくは順調な登山が続いた
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稜線より丁岳方面を望む
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次第に道は不明瞭となってきた
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コンクリート製の国有林境界標石が並ぶ稜線
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木々の間から横手盆地を望む
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稜線はアップダウンが続いた
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進めば進むほどに濃くなる藪。残雪期とは大違いだった
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歩きやすい場所もあったので歩みを進めることができた
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再び夏道。ブナ林を渡る風も心地よかった
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山頂の手前、鉱口にある単管パイプが見えてきた
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ここに落ちれば上がってこれないでしょう
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山頂部に到着。松の木峠方面から道があり少し落胆した
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ありました!三角点
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標石
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上部
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三角点から少し北寄りの展望地。クリックで拡大 (1800 x 392)
---基準点詳細---
基準点コード:TR25840520701
点名:姥井戸山
俗称:姥井戸嶽
所在地:秋田県由利本荘市上笹子字弥平沢国有林1003林班ほ小班
冠字選点番号:宇02
種別等級:三等三角点   
地形図:湯沢
測地系:世界測地系(測地成果2011) 
北緯: 39°05′01″.8970
東経:140°20′30″.8304
標高:926.89m
選点:明治39年05月07日
設置:明治39年08月31日
観測:昭和63年08月10日
備考:余語 久胤
---訪点記録---
訪問日:第一回目 2014.04.27
訪問日:第二回目 2014.09.21
自動車到達地点:上桧山併用林道起点駐車場
歩道:林道・作業道・尾根杣道(廃道)
周辺:山林・笹地・鉱山
状態:正常
保護石:0個確認(第二回目)

☆第一回目(残雪期)
出発時間:08:02 駐車地
到達時間:10:37 山頂到達
出発時間:12:55 山頂出発
到着時間:14:16 駐車地
全行程:374分

☆第二回目(無雪期)
出発時間:08:27 駐車地
到達時間:11:34 三角点到達
出発時間:12:21 三角点出発
到着時間:13:53 駐車地
全行程:326分
備考:
---訪点の記---
2014年5月、残雪期の登頂では雪消えの遅さから山頂では3~4mの雪に阻まれ、結局は三角点を見つけることが出来なかった。リベンジを果たすべく同年9月に藪を漕いで再びその頂に立った。

上桧山併用林道から仙道財産区内の作業道を使いアプローチする予定であったが、財産区内の造林地は入口にチェーンが張られた状態であった。また、路面も荒れていて車両で進入するものではなかった。さらに作業道を進むと草藪となり廃道状態であった。

藪越しから見る姥井戸山の頂きは遠く感じられ何度か諦めようと思った。残雪期は稜線まで容易に到達することができたが、盛夏は過ぎたとはいえ未だ草藪の勢いは凄かった。さらにこの時期だと”のさばりっこ”(衣服に付着する雑草の種)が全身に纏わりついた。

途中から草藪の作業道のトレースに耐えることができず、急斜面を登り稜線に辿りついた。この稜線は国有林との境界なので多少は歩きやすくなった。

尾根沿いは残雪期ほどの危険性はなく、残雪期に確認していた夏道も所々あった。高度があると道も藪に覆われて不明瞭となったが、基本的には一本尾根なので、ひたすら絶頂を目指せばよかった。

ルートは一度、残雪期に歩いたおかげで位置関係が分かり安心感があった。そして、所々で望める素晴らしい景色も良かった。特に残雪期に見た月山と鳥海山が重なった景色は忘れられなかったが、この時期は木々に眺望を遮られて再び見ることができなかった。

黙々と藪をかき分け進んでいくと山頂の肩の付近に単管パイプで囲まれた鉱山の鉱口が見えてきた。冬でも雪に埋もれないこの場所は不気味な雰囲気であり、この穴に落ちれば二度と帰ってこれないような恐怖感があった。

山頂部分の藪が笹に変わり迂回を余儀なくされたので、藪の薄い場所を探して山頂に辿りつくと幅30cm程の刈払いがある登山道へと出た。その道は松の木峠方向に伸びていた。苦労して辿りついたので、何か複雑な想いが込み上げてきたが気を引き締めて三角点に向かった。

すぐに三角点が登山道上にあって辿り着くことができた。その登山道はさらに北側に伸びていたが、すぐ先の北側の崖地をもって終わっていた。そこは景色が見える展望地となっており、今までの苦労が報われる眺望となっていた。
---地名の由来・追記など---
★ウバ 奪うで崩壊地形や岩場、崖地で崩壊地が考えられる。また、山姥、姥神伝説の他に「姥杉」などと呼ぶように「姥」は大きいものに対する例えもある。
抜粋「地名へのいざない」戸澤敬三郎 P43 ウバイシシタ・ウバイシヒラ

★「うば」は山姥や姥神の伝説のある場所、「い」は高くそびえる、「と」は場所・狭い場所の意味がある。姥井戸山周辺には院内銀山をはじめ鎌倉初期には採鉱が始まったとも考えられている鳥海町の姥井戸金山、明治期に開発された上仙道の日長金山がある。
抜粋「うご町の地名」鈴木俊男 P249 姥井戸山

★姥井戸山の東麓に院内・仙道を結ぶ日長峠があり、南麓に院内・笹子を結ぶ松の木峠がある。いずれも、院内銀山の盛況時に開発された交通路である。山麓の日長金山は、昭和初期に金山として開発が期待されたが、発展するに至らなかった。
抜粋「湯沢・雄勝の地名」斎藤実徳 斎藤実共 仙道良次 P20 姥井戸山

★日長金山史

旧由利郡鳥海町と旧雄勝町そして羽後町の境界にそびえる姥井戸山(九二六.九m)の山域には古くから金、銀、鉛などを産出する鉱山が発見されている。

「鳥海町史」(一九八五、編纂委員会)によれば、豊臣秀吉への運上目録である「慶長三年」(一五九八)蔵納帳」に「出羽七両一分六厘、出羽八島分黄金山、浅野弾正」とあって八島(矢島)領から金を産出していることがわかる。

当時の矢島領内での金山は姥井戸金山で、黄金山はこの姥井戸金山であろうと考えられ、姥井戸金山には、「鉱石は金鉱でああったために遠く平泉の黄金文化の基となった」「三輪神社の社殿内部にみられる金箔も、この鉱山の金が使用された」などの伝承が伝えられ、宝暦六年(一七五六)「御領分覚書」(鳥海高橋家文書)には「一、小安内金山 壱ヶ所」とあって、小安内金山は姥井戸金山の別名で一八世紀には確実に稼働している。

一方、姥井戸山の東側にあたる羽後町側では「今より約百年前仙道村西又ノ木樵彌助なる者栃木坑道を発見したるに初り佐竹候の扶持を頂き採金したるものにて佐竹候徳川家より金五拾貫の納金を命ぜらるるや本山特に金山奉行□□□採金したる梵天坑と言う旧坑ありて直利に当りたる時山神に梵天を寄進せるを以て呼称す」(「金龍鉱山状況」)とされるものの、「大正版秋田県史」(秋田県編、一九一五)に秋田藩の史料をもとに作成されたと見られる「金山篇付録第二 秋田領内諸金山箇所年数帳」には見えず、秋田藩直山で金山奉行を配したとされる記述を信じることはできない。

ただ、西又の樵彌助であるかは別として、古くから金の発見があった可能性は高く、「雄勝郡郷土史料」(一九二八、雄勝郡小学校長編)「秋田の先覚」(一九六八、秋田県)などによると、日長金山は「それ以前から採鉱するものがあったとされているが、明治三九年(一九〇三)に金銀鉱を十五万三千坪の場所で試掘出願、大規模な採掘精錬を行ったのは大日向作太郎(雄勝郡 明治村・万延元~大正三)で、彼の死後操業は中止された」。

「日長」の名は明治一七年(一八八四)戸長から県地誌編纂取調係に提出した「上仙道村誌稿」に「日長峠 高百丈許周囲一里八町嶺上ヨリ三分シ、北ハ本村ニ属シ西ハ上笹子村ニ属シ東南ハ上院内村に属ス山脉北ハ本村字檜山耕地ニ接ス登路一條本村字檜山ヨリ上ル長十八町許険阻ナリ(略)」と、姥井戸山の地況とこの山に至る登路があってこの道が日長峠であるとする。

また、鉱山名の「日長」を、大日向の「日」と鉱山事業の共同者長井の「長」を合わせたものだと語る人もいる。

いずれ、地元仙道で「日長金山」や「日長鉱山」の名で呼ばれ、姥井戸山の東側にあたる羽後町の金鉱について、当時の仙道中学校の生徒たちによって「日長金山の調査」としてまとめられている。
これによると、日長金山で採鉱されたのは、第一回目が文久元年より明治二五年(一八六一~九二)で、採掘者は小野寺氏とされるが、それらの出典は明らかにされていない。

二回目は前述した大日向作太郎の採掘で、明治三〇~三五年(一八七九~一九〇二)とされる。

「雄勝郡郷土史資料」によれば、「明治三九年に金銀鉱を十五万三千坪の場所で行った」とされ、若干の時間的ずれがある。

大日向作太郎は、明治二二年(一八八九)四月の第七回県会議員選挙で初当選、明治四〇年(一九〇七)九月の任期満了まで一九年間県議を務め、この間明治三五年(一九〇二)には県会議長となっており、「秋田の先覚」では政界を引退したのち、家産の再興をはかり鉱山の経営などを手がけるものの軌道に乗れず、大正三年(一九一四)一〇月二三日、五五歳で没したとある。
 
(途中略)

とすると、やはり日長金山の採掘は明治三九年以降となるだろう。

三回目の日長金山の採掘は、若松敬三郎氏で昭和初期に三、四年続いたとされている。

昭和四四年七月に認証された、仙台通商産業局の鉱業原簿鉱区図謄本の写しによれば、採掘権登録第二九号は、姥井戸山頂の三角点の北側に昭和四年四月登録された鉱区で、「仙道村大字上仙道字中釜ノ沢(国有林)、笹子村大字上笹子字弥平沢(国有林)、面積一万八千三百五坪、鉱業権者代表 近間通誼」である。

あるいはこの採掘の際に採掘権登録されたものであろうか。

四回目の採掘は、昭和二〇年(一九四五)で採掘者は不明であるが、関係者に藤原という人がいたらしい。この採掘は程なく休止された。

最後の採掘は昭和四六年(一九七一)でこれも失敗に終わった。


この採掘に至るまでの経過の中で、地元で関わりを持った人がいる。上仙道中村の武田照夫さんで、この時の事や日長金山にまつわる言い伝えを次のように書いている。

祖父の武田留吉が若い頃、栃の木抗で銀を採掘して精錬をしていたが、その人夫達の食糧運搬の仕事をやった。精錬された鉱石は栃の木坑から通り道を造り院内へ運んでいた。昭和三〇年代に移り、わたしも働き盛りとなって、何か町の産業発展になるものはないかと家業の農業を営みながら思いを巡らしていた。

ある日のこと、当県会議員の佐藤善治郎先生に依頼されて、桜井一郎(東京の人)という土地所有者とボーリングの藤原シゲオという人と共に、比内町扇田の土橋信蔵氏という金龍鉱山の鉱業権を持つ人を訪問した。羽後町には、農業のほかこれといった産業がないので再採掘を切実に頼んだ。話をしているうちに、権利を売り渡してもよいような話になって、価格を聞いたところ五〇〇万円を提示された。ただし、桜井氏には売らない、むしろ(土地所有権を)買いたいくらいだといわれた。

結局、わたしが買うことにして決めて戻ったが、もちろん私には五〇〇万円の持ち合わせはない。桜井氏の桜井産業に捻出してもらうことにして、数日後、桜井氏の知人という人と再び比内町の土橋氏を訪れ、代金を支払って、書類をいただき、その日の内に仙台市へ向かい、代書人に依頼して手続きを行い、桜井産業の会社に入った。その時だけは一杯ごちそうしてくれた。

こうして鉱業権を買い求めて段取りに入ったのだが、採鉱までには到らなかった。行政の協力が得られなかったのだ。 千分鉱の横穴鉱区もあったが、いまはどうなっているかわからない。事業を推進するためには行政の理解と協力なしには不可能であることを痛いほど知った。

武田さんの手元には、前に引用した「金龍鉱山概況」の冊子などの資料が現在も残っている。金龍鉱山とは、上仙道、上院内、上笹子にまたがって鉱業権を登録した金銀銅鉱山で、採掘権登録第八九五号。前述した上仙道字釜ノ沢、上笹子字弥平沢の採掘権登録第二九号鉱区やその鳥海町の姥井戸沢から弥平沢までの採掘権登録第三三三号の鉱区を取り囲むように設定されていた鉱業権で、日長金山や鳥海町の姥井戸金山の鉱区はこの中に挟まっている。

金龍鉱山の鉱床は四つあって、「栃木抗は鉱区の南方、院内町界に露出し、鉱布六尺に達す、品位金十萬分ノ八、銀一萬分ノ八に及ぶものあり」「帯直利坑は檜沢沢に露出し、鉱布一尺五寸より三尺に達す、平均品位金一萬分ノ一、銀千分ノ一あり」

「千分坑は、鉱区の中心に存在す。三寸位より一尺に達す、平均品位金一萬分ノ三、銀千分ノ五あり」「六尺露頭は露出部六尺を有るを以て呼称す。平均品位金十萬分ノ三、銀一萬分ノ五あり」で、それぞれの鉱床に掘られた坑道は「栃木抗は総延長三十五間にして、鉱脈内に三状の採鉱横抗を有る、昔古時代に採掘せし個所は布二十尺、延長三十間に及び運鉱方法は、木道を用ひ五分ノ一頓車を使用せる跡あり。

坑道より上部に姥井戸山の頂上迄五百尺、下部は檜山沢地点迄五百尺あり」「帯直利抗は姥井戸嶽より東西に走れる峰流の中間を走り、一、二、三番抗の三坑道は各抗より上部は五十尺にて地表に貫き採鉱したるもの、四、五番抗は各五間づつの採鉱坑道あるも採鉱せず檜山沢よりは八百尺の高所にある」「千分抗は姥井戸嶽より北に走れる峰流を東西に貫きたる鉱脈にて、一番抗より八番抗まで坑道あり、三、四、五番抗は各五十間ずつ延長し、その他は各二十間延長す、八番抗より上部峰迄は二百尺、下部檜山沢迄は五百尺あり」「六尺露頭は、露天掘りに十五尺採掘す。五十尺底部より五間計りの坑道したる三カ所の採鉱道あり、鉱床の状況は千分抗等は地表上部に於いてはその厚さ一寸乃至三寸に過ぎざるも、上部より下部に降下するに従ひ肥大して四、五寸より八、九寸に及び最大部は一尺五寸に達し其の脈中、黒紫粉末状の破罅充填物あり、之に接して褐色凝灰質輪状石英脈は連亘し、二、三寸乃至一尺五寸の厚さを有し、其の含金品位凡そ十萬分の五乃至一萬分の一に及ぶ、殆ど直立して東西に走り凝灰岩及び安山岩を貫きて、地下凡そ千五、六百尺以上の深所に有りても完全なる鉱脈を形成するものと認め居れり」とある。

つまり、この鉱床や坑道の説明からは、日長金山のすべてはこの金龍鉱山に含まれているといえる。
平成の合併以後、由利本荘市、湯沢市、羽後町の三市町村を分けてそびえることとなった姥井戸山は、古くから金・銀・銅の鉱山資源を産出し、人々はその富を求めて採掘を試みたが、その繁栄は長くは続かなかった。

また鉱山技術は特殊で、古くから独特の習俗などをもち、そこで働く人々はいわば専門技術者の集団であり、鉱山集落の形成にはその鉱山の長い繁栄が必要であった。
仙道の人々がその繁栄を期待した日長金山も、何度かの試掘が試みられたものの繁栄することなく休止が繰り返され、上仙道がこの金山の鉱山集落と化することはなかった。このためこの日長金山に関する資料は極めて少ない。

ただ、厳然として姥井戸山の山腹には、当時の坑道が残り、人々の話ではきわめて危険な場所でもある。地元に伝えられた話や断片的な資料でおぼろげながらその坑道や金山にまつわる歴史を書きとどめた。(資料収集 今野勇一)

抜粋「仙道の地域誌」羽後町教育委員会・仙道の歴史を探る会 P26~29 日長金山史
↓残雪期バージョンはこちら↓
姥井戸山~残雪を踏みしめ姥神の住む山へ~(ヤマレコ)
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この記事へのコメント

- 湯沢岳 - 2015年01月26日 09:58:45

姥井戸山探訪見ました、鉱山の歴史文凄いですね!詳しく生々しい記述い驚きました。デコさんはその道だいすきですからね、たまげました。すこぶる近代史ですが私なんか全く知りませんでした、探訪もよくまあ粘り強く頑張っていますね。登山機器を使いこなして危険を察知して成果と自然を満喫する凄腕には脱帽です。廃坑の穴は真に危険そのもので深いクレパスですね!
大荒沢岳。沢尻岳等は沢内村の貝沢から行くんですね、こちらもアプローチ長く残雪あり藪ありでアイゼンとピッケル使用はさすが抜かりはありませんね!好天に恵まれ大展望良かったですね、羨ましいです(とても私の分野っでは・・・・)4月が待ちどうしくなりますねー。天気良かったので孫とスキーに行きました(腕が落ちたっけ)

Re: タイトルなし - デコ山さん - 2015年01月26日 19:34:50

姥井戸山はミステリアスな雰囲気が最高でした。
歴史なんかを調べたりするとまた違った見方ができて楽しみが増えますね。
私は残雪期に羽後町側から登って正解でした。
鳥海町の月山と鳥海山の重なる姿がとても印象的ですね。

あと湯沢市はジオパークが盛んですよね。
地質、歴史、郷土と食べ物だけではない地元のアピールが好印象です。
魅力の再発見や掘り起こしとでもいいますか。

大荒沢岳は岩手県側から登山道があります。畚岳は残念ながら残雪期限定です。
本当は秋田県に拘って、秋田県内からアプローチするのを信条としていますが
山の深さと自分の山技術が伴わない事例となっています。

これからは体力と気力、緻密な事前調査に登頂適期が加わります。
残雪を使い山頂が顔を覗かせた一瞬の時期を狙う事が多くなると思います。
無理のない計画で探訪したいと思います。

スキーは稲川スキー場でしょうか?昨年、三角点探訪で無雪期にお邪魔しました。
天気が良ければ焼石岳の姿がとても奇麗に見える場所ですね。
怪我だけは気を付けてくださいv-218

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デコ山さん

Author:デコ山さん
秋田県内に設置された、三角点の探訪記。

主に、明治時代に設置された一等~三等三角点を訪れています。

また 標石を含めた現地の周辺調査、地名や点名の由来なども掲載しています。

秋田県内で、藪の中をゴソゴソとやっている人がいたら、それは私です。

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