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克55 「権現森」 大仙市太田太田字川口沢国有林


地形図とルート
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▲Google map
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▲川口渓谷の遊歩道から権現山を望む。
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▲遊歩道入口にある「かぶり岩」。
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▲遊歩道入口バリケード。
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▲二又の景・北ノ又沢橋より入山地点。
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▲トラバースしながら山頂への尾根を探す。
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▲岩場を攀じ登る。
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▲昔の参道を見つけた。(不明瞭)
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▲途中から焼山を望む。
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▲天然の秋田杉の巨木が連なる。
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▲露岩帯を通過。
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▲露岩帯からのパノラマ。(2000×313)
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▲急斜面の連続。
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▲今度は藪漕ぎで這いつくばって登った。
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▲山頂付近の祠。(杉崎権現)
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▲三角点はまだその先にあった。
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▲ようやく三角点に到着!
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▲標石
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▲上部
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▲鹿ノ子山方面。
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▲真昼岳方面。
---基準点詳細---
基準点コード:TR35940159501   
点名:権現森
俗称:権現山
所在地:秋田県大仙市太田太田字川口沢国有林2179林班い小班 
冠字選点番号:克55 
種別等級:三等三角点   
地形図:六郷
測地系:世界測地系(測地成果2011) 
北緯:39°29′39″.8688
東経:140°41′44″.0800  
標高:721.91m
選点:明治42年05月15日
設置:明治42年05月22日
観測:明治42年08月03日
備考:今井 修一
---訪点記録---
訪問日:2012.10.09
自動車到達地点:川口渓谷かぶり岩バリケード
歩道:なし 藪漕ぎ尾根伝いに登る。
周辺:山林
状態:正常
保護石:3個確認
出発時間:09:18 駐車地
到達時間:11:28 三角点到達
出発時間:11:52 三角点出発
到着時間:13:12 駐車地
全行程:234分 昼食・休憩を含む
備考:
---訪点の記---
権現森~神山への挑戦~

 川口渓谷、北ノ又沢と南ノ又沢の出合いの二又の景に聳え立つ神の山、権現山の三角点を訪問した。川口渓谷は私が好んで足を向ける場所で、四季折々の自然の表情が私の琴線に触れる絶好の癒しの場所となっている。

 また、かつては川口鉱山への道でもあり、奥産道開発で隣県の岩手県への抜け道として期待されたが、その夢も潰えてしまい、現在は奥羽の脊梁へ誘う遊歩道として現在に至っている。

 この権現山の三角点への登頂路はその険阻な地形故にいつも計画から外れていた。地形図だけではよく分からないので現地偵察も行ったりした。また地元の方々にも聞いたりと充分にリサーチも行った。そして、遂に復活山行の第一弾として計画実行に移すことになったのだった。

 登頂路は二又の景から登り、斜面をトラバースしながら山頂へ続く尾根を登ることにした。北ノ又沢を遡行しても行けるらしいが、且つてこの山の登山道、権現山への参道は正面を登る勇壮なものだったようだ。私もそれに倣うべく正面突破を試みた。

 到着早々、かぶり岩のゲート前で身支度を整えてゲートを抜けた。もちろん今日は地形図のコンターの混み具合からスパイク付きの地下足袋を装着。私は久しぶりの山行に心を少し踊らせながら林道を歩いた。今年は、10月と言えど山は夏から秋へ移り変わる初秋の雰囲気に包まれていた。私はペースを無理に上げず、じっくり景色を眺めながら歩き続けた。

 途中で舞茸採りのバイクが二台あった。今年は、残暑が原因でキノコも遅れているのであろう。相変わらず景色を楽しみながら歩いたが、二又に近づく程に権現山の三角点峰が眼前にそそり立つように迫ってきた。

 本当に登れるだろうか?という疑問が浮かぶほど、ルートに選んだ地形が険しく見えた。とりあえず、斜面に登れたら、なんとかなるはずだと楽観的に考えてみた。登山道があるメジャーな山ではないので少々不安に思ったが、これが逆に気を引き締める起爆剤にもなった。

 二又の景に到着すると、これから登ろうとする斜面を目で確認した。南ノ又沢へ続く奥産道は、この権現山の山裾を削って続いていた。そのため、落石防止用のコンクリートの法面が高くまで敷設されていたが、私が目を付けた入山口は、ちょうどコンクリートと網が格子状になっていて、梯子の役目を果たすものだった。また北ノ又沢側からも登れそうだったが、その先には、絶壁が木々の間に見え隠れしていて、とても登れそうになかった。

 私は、気合いを入れてそのコンクリートと網の落石防止用法面を登り始めた。見た目より急で足場が悪くホールドできる下草も弱く、何度か足元から滑り戻された。とりあえず、希望がもてるまで登り終えると、頭上はやはり絶壁になっていた。私は南側にトラバースしながら少しづつ高度を稼いだ。斜面は薮が薄かったが、所々に巨石があり、その度に迂回させられた。

 山頂へ続く尾根に乗ったころに、且つての参道跡と見られる小径と、近年付けたであろう目印のテープを発見した。テープを追いながら、新しく付けながら登り続けた。

 地形図より実際の地形が複雑で、中々高度が上がらなかった。地形図では、高度を上げると傾斜が緩くなるように記載されているが、実際は急斜面や痩せ尾根、露岩帯が混じる変化に飛んだ地形であった。また灌木帯では、四つん這いで登攀する場面もあり湯沢市の奥宮岳を彷彿させる場面もあった。

 そして、この山行での最大の収穫は、この露岩帯から付近一帯の山塊と山懐、仙北平野を望み、遠く秋田市太平山、男鹿三山と日本海まで見渡せたことだった。薮山で見せる、ひと時の景色に神の領域を感じることができるのは、私だけではないはずである。

 露岩帯のうるさい灌木の急斜面を超えて、一度高度を下げて登り返すと、奇形のブナがある広場らしき所にたどり着いた。ほぼ、山頂であったが、三角点の場所は、尾根沿いにまだ少し先であった。ここからは、他者の目印テープも無く、少し薮が鬱陶しく感じられてきた。相変わらず地形の変化はあったが、私は、程なくして三角点に辿りつくことができた。

 標石は、露出気味で北側に少し傾斜していた。保護石もあったが、3個とカウントしていいだろうかというものであった。また国土地理院の棒杭や目印のテープなどもなく、物好きな私以外は訪れる人もいないようだった。また、この場所から北ノ又岳、音動岳、真昼岳を望むことができた。円錐状に突き上げて見える北ノ又岳が印象的だった。

 一通り周辺の撮影をしてからご飯をたべようとしたが、この時期としては異例のハエの大群に襲われ、昼食は中止してザックから取り出したバナナチップを腹一杯食べた。

 お腹も満たされた私は、帰る為に周辺を片付けて三角点を後にした。帰路、奇形ブナの付近を通過するときに祠を発見した。地形図にも載っているそれだ。他者の目印テープはこの手前まであったので、参拝が目的の登頂だったことがわかった。祠を塞ぐトタンを剥がして中を覗いて見たが、ここに神はいないようだった。私は、この山行の成功と子ども達の健康を願った。それから私は、置いてきた目印のテープを頼りにひたすら下り続けた。

 無事に林道まで辿り着いた私は、二又の景の橋の上で、さっそくお預けにしていた昼食を開始した。私がモゴモゴと口を動かしていると、南ノ又沢方面から二人の男性が下ってきた。舞茸採りのようで、今日は何とか少し採ってきたとのことだった。そういえば、ツキヨダケがやっとで始めていて、夏キノコもまだ傘を広げている状態だったので、二週間ほどの遅れかと思われるとのことだった。私が権現山に登ってきたと伝えると、やはり 「物好きもいるもんだ」 といわんばかりの対応をされた。キノコ採りではない登山姿に地下足袋は特に奇異な姿に見えたのだろう。
---地名の由来・追記など---
★川口山伝説★
 延歴14年(795年)坂上田村麻呂*征夷大将軍が蝦夷の平定討伐時代、従兵に清能という弓の名手がいた。ある日、山中で*青鹿の親子を見つけて矢を放ったが、矢がはずれ(矢筈峠 "やはず峠")撃ち損じた。

 手負いの青鹿親子を追ってゆくと土民の夫婦が炭を焼いている沢(炭焼沢)に出た。土民に問うたところ、この沢を降りて逃げたとの返答で、なお追跡したところ、流れの側に湧出する温泉(鹿子温泉源)で小鹿が手負いの母鹿の傷を舐めていた。

 親子の情愛を見て清能は殺生を禁ずる覚悟をしたが、猿の一群が弓矢を携えた清能を見て恐怖と警戒の叫びをあげた。青鹿親子は一目散に逃げ、二又のところで子鹿は右、南ノ又沢(鹿子山)、母鹿は左、北ノ又沢(青シカ山に)姿を消した。逃げ延びた親子はそれぞれの山を本拠にして繁殖したという。(二又の景・標柱看板より抜粋)

*(征夷大将軍に任ぜられたのは翌年延歴15年(796年)。このときは征東副使)
*(青鹿=カモシカ)
★杉崎権現神社★
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 大宝三年、勢至観音を祭神として建祀し作神様として信仰されるようになった。また、延暦十四年(795年)に坂上田村麻呂によって社殿を再建されたという。

 御前立神社社殿は明治四十年代に川口沢抱き返り地点に建立されたが、川口鉱山道路の敷設で道下となり現在地に福原幸之治によって建立された。
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Author:デコ山さん
秋田県内に設置された、三角点の探訪記。

主に、明治時代に設置された一等~三等三角点を訪れています。

また 標石を含めた現地の周辺調査、地名や点名の由来なども掲載しています。

秋田県内で、藪の中をゴソゴソとやっている人がいたら、それは私です。

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